浜田幸一
千葉県富津市出身。81歳
千葉県富津市出身。81歳
傷害事件を起こすなどし、以後、さまざまな非行を重ねて
「木更津のダニ」との悪名をとった。
この渾名は当時の地元の新聞記事でも用いられている。
24歳のころケンカに巻き込まれ、
相手を刺してしまい(故意ではない)、
『日雇い人夫浜田幸一』との見出しで報じられた。
この時、浜田の母が、木更津で一番有名な弁護士を用立て、
息子を助けた。
富津町議会議員、千葉県議会議員を経て、
2度目の挑戦となった1969年の衆議院議員選挙で自由民主党から
初当選し、川島派に加わった。
以後、通算当選7回。
1973年には中川一郎、渡辺美智雄、石原慎太郎らと共に、
民族主義右派の青嵐会を結成、マスコミ対応の事務総長を務めた。
この頃から武闘派議員としても有名になり、数々の逸話を残す。
1993年7月に息子である浜田靖一に地盤を譲り政界を引退した。
議員引退後はタレント活動を活発化させ、
数多のバラエティ番組に出演するほか、
連続ドラマ『お玉・幸造夫婦です』
1993年12月に出版された著書
『日本をダメにした九人の政治家』
発行部数168万部以上のミリオンセラーとなった。
テレビ等のメディアでも千葉でヤクザをしていたと公表している。
自身の著書でも触れているが、戦後、法律の枠外に置かれた
在日朝鮮・韓国人の不良行為に対して我慢がならず、
現場を見つけては暴れていたと自称している。
共産党の議員に「あいつはヤクザじゃないか」と罵られた時、
「自分は確かに、かつて一時期そういう時代もあった。
それを否定しない。その過去を責められたら素直に認める。
しかし、それをもって私の存在自体を否定したり、
また再びチャレンジできないような社会をつくってはいけない
と述べている。
この時に、
「いいか、断っとくけどなー。
かわいい子供達の時代のために自民党があるってことを忘れるな。
お前らのために自民党あるんじゃないぞ
という名演説を張る。
カジノで4億6000万程度を一晩ですってしまったとされる、
「ラスベガス事件」が、1980年3月6日に発覚。
当然そんな大金を浜田が用意できるわけはなく、
当時浜田が不動産関係で世話になっていた
小佐野賢治が代わりに用立てて支払った。
ところが、その金が実はロッキードから小佐野に流れた金であるとの
議会証言がアメリカで行われ、大騒ぎになった。
しかし、この年に行われた総選挙へ自民党の公認が得られなかった。
自ら出馬を見送り、収入の無くなった浜田は小佐野の不動産会社で
真面目に働き、土地の売買等を通じて数年かけて借金を
全額小佐野に返済したと語っている。
1984年9月19日、自由民主党本部が中核派に放火され炎上した。
浜田はいち早く駆けつけ消火にあたった。
そこへ当時の法務大臣であった住栄作が酔っ払った状態で現れ、
「マッチポンプな真似しやがって」と発言した。
それに怒りを感じた浜田は、住を殴りつけてしまった。
後に住は発言が不適当だったことを認め、浜田に謝罪した。
自身が長く政治家を続けられた理由のひとつとして、
その選挙戦の戦い方がある。
田んぼで畑仕事をしている有権者に握手を求めたり、
「お母さんの歌」を大声で泣きながら
熱唱するのが常であった。
同僚議員の応援に行くと、必ずといっていいほど
「お母さんの歌」を歌い、自民党の幹部をこき下ろし、
最後に壇上から「よろしくお願いします」と
土下座するのも見慣れた風景であった。
選挙時にはほとんど睡眠しない事を公言しており、
そこまで集中して、かつ周りがフォローしていた逸話として
知られている。


