伊達公子 
京都府京都市出身。39歳
京都府京都市出身。39歳
『ライジング・ショット』の名手として、世界的にも有名であった。
これは、相手の打ったボールが自分のコートでバウンドした直後の
上がり端を打ち返す、非常に高度な技術である。
当時のテニス界で“ライジング・サン”と呼ばれた。
6歳の時から、京都市北区にあるテニスクラブでテニスを始める。
中学卒業後は兵庫県尼崎市にあるテニスの名門校・
園田学園高等学校で、名コーチ光国彰の指導を受けた。
1988年のインターハイでシングルス、ダブルス、
団体優勝の3冠獲得を達成する。
高校卒業後の1989年にプロ転向した。
1991年、
「バージニア・スリムズ・オブ・ロサンゼルス」大会で準優勝。
準決勝で当時世界ランキング3位のガブリエラ・サバティーニを破る
大金星を挙げ、決勝では当時の女王モニカ・セレシュに挑戦した。
1993年 全米オープンで初の4大大会ベスト8進出。
1994年 1月にオーストラリアの
「ニュー・サウスウェールズ・オープン」で海外初優勝。
日本人の女子テニス選手として、史上初の世界トップ10に躍進する。
直後の全豪オープンで初の4大大会ベスト4進出を果たした。
1995年 2月の東レ・パン・パシフィック・テニスで初優勝。
その決勝戦では親友のリンゼイ・ダベンポートを圧倒した。
11月に自己最高の世界ランキング4位を記録する。
1996年9月24日に現役引退を宣言。
世界ランキング8位での引退だった。
四大大会でのシングルスベスト8入り6回、そのうちベスト4入り3回、
はどちらも日本女子選手歴代最多。
グラフ選手との名勝負(通算成績は1勝7敗)、
スペインのコンチタ・マルチネス選手には「6勝2敗」と
大きく勝ち越した。
またアメリカのリンゼイ・ダベンポート選手の若き日の好敵手でもあった。
2001年12月1日、ドイツ人レーサーのミハエル・クルムと結婚
世界的な活躍は、日本の女子テニス界にも計り知れない刺激を与えた。
1995年の全米オープンでは実に8人の日本人選手が本戦に
直接出場するなど、
伊達が活躍した時代は日本勢全体の活躍が目立った時期であった。
2008年に、37歳にしてプロ登録をし復帰した。
世界と戦うためではなく、
若い選手へ刺激を与えるためであると記者会見で語った。



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