2009年09月28日

9月28日生まれ

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伊達公子  テニス

京都府京都市出身。39歳ぴかぴか(新しい)


1
『ライジング・ショット』の名手として、世界的にも有名であった。

これは、相手の打ったボールが自分のコートでバウンドした直後の

上がり端を打ち返す、非常に高度な技術である。

当時のテニス界で“ライジング・サン”と呼ばれた。テニス



2
6歳の時から、京都市北区にあるテニスクラブでテニスを始める。

中学卒業後は兵庫県尼崎市にあるテニスの名門校・

園田学園高等学校で、名コーチ光国彰の指導を受けた。

1988年のインターハイでシングルス、ダブルス、

団体優勝の3冠獲得を達成する。

高校卒業後の1989年にプロ転向した。



3
1991年、

「バージニア・スリムズ・オブ・ロサンゼルス」大会で準優勝。

準決勝で当時世界ランキング3位のガブリエラ・サバティーニを破る

大金星を挙げ、決勝では当時の女王モニカ・セレシュに挑戦した。



4
1993年 全米オープンで初の4大大会ベスト8進出。

1994年 1月にオーストラリアの

「ニュー・サウスウェールズ・オープン」で海外初優勝。

日本人の女子テニス選手として、史上初の世界トップ10に躍進する。

直後の全豪オープンで初の4大大会ベスト4進出を果たした。かわいい



5
1995年 2月の東レ・パン・パシフィック・テニスで初優勝。

その決勝戦では親友のリンゼイ・ダベンポートを圧倒した。

11月に自己最高の世界ランキング4位を記録する。ぴかぴか(新しい)



6
1996年9月24日に現役引退を宣言。

世界ランキング8位での引退だった。

四大大会でのシングルスベスト8入り6回、そのうちベスト4入り3回、

はどちらも日本女子選手歴代最多。



7
グラフ選手との名勝負(通算成績は1勝7敗)、

スペインのコンチタ・マルチネス選手には「6勝2敗」と

大きく勝ち越した。

またアメリカのリンゼイ・ダベンポート選手の若き日の好敵手でもあった。



8
2001年12月1日、ドイツ人レーサーのミハエル・クルムと結婚揺れるハート



9
世界的な活躍は、日本の女子テニス界にも計り知れない刺激を与えた。

1995年の全米オープンでは実に8人の日本人選手が本戦に

直接出場するなど、

伊達が活躍した時代は日本勢全体の活躍が目立った時期であった。



10
2008年に、37歳にしてプロ登録をし復帰した。

世界と戦うためではなく、

若い選手へ刺激を与えるためであると記者会見で語った。わーい(嬉しい顔)
posted by ジュン at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントありがとうございました!
また遊びに来ますね!!
Posted by 代表 at 2007年09月27日 18:47
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