明石家さんま
和歌山県東牟婁郡生まれ、奈良県奈良市で育ち。54歳
和歌山県東牟婁郡生まれ、奈良県奈良市で育ち。54歳
笑福亭松之助に弟子入りした当初の芸名は「笑福亭さんま」であった。
「さんま」という芸名は、
さんまの実家が水産加工業を営んでいたことから命名。
その後、「明石家さんま」に改名。
「明石家」は師匠・笑福亭松之助の本名「明石徳三」から貰い受けたもので、
当時は松之助門下の多くが「明石家」を名乗っていた。
いわゆる「出っ歯」の代表的人物として有名。
前歯を差し歯にするときに「少し引っ込めますか?」と言われたが、
断ったそうだ。
また、差し歯のメーカがヨン様と同じだと言い張って物マネをしていた。
一時期その顔つきを自ら新幹線『のぞみ』(新幹線300系電車)
と表現したことがある。
睡眠時間が極度に少ない。
雨上がり決死隊・宮迫博之によると
「仕事で3日間一緒になった際、多分あの人はあの3日間一睡もしていない。
機内で寝ようとしたら、起こされた。
また、初日の収録が終わり、
次の日の入り時間が早朝だったにも関わらず深夜まで一緒に飲み、
次の日フラフラになって収録現場に行ったら、
何も無かったかのように元気なさんまさんがいた。
こんなことが3日間続きながらも収録が終わって、
ダウン寸前で家に帰ってテレビをつけたら、
さんまが生放送番組に出演していた」との事。
1988年9月、女優の大竹しのぶと結婚。
長女・いまるが誕生するが、1992年9月に離婚。
子供には「お父さん」と呼ばせず「ボス」と呼ばせている。
本人はその理由を、常々自分という人間は父親という器ではなく、
昔から「ボス」と呼ばせるのが夢だったと語っている。
1981年に、ビートたけしや島田紳助などとともに、
『オレたちひょうきん族』にレギュラー出演。
人気の火種となったコーナー
「THE タケちゃんマン」の敵役・ブラックデビルは、
当初は高田純次が務めていたが、
第2回収録前に高田がおたふく風邪で入院し、
代役として急遽さんまが抜擢され好評を得、それ以後レギュラーになる。
出演当初は、春風亭小朝と即席漫才コンビを組んで出演したこともある。
NHKが1975年から2003年にかけて毎年実施していた、
好きなタレント調査では、1985年に男性1位に選ばれてからは、
2003年に調査終了するまでの19回のうち通算12回で男性1位を獲得、
それ以外は全て男性2位となっている。
1999年に「日本で最も露出の多いテレビスター」として
ギネスブック世界記録認定。
ビートたけしが著書『コマネチ!』の中で
「こいつには負けた、と思った数少ない中の1人」とさんまのことを評した。
島田紳助が初めてさんまを見たときの印象は、
「24時間明るい」「こんな華のある奴は見たことない」。
そして「俺と肩を張れる奴はこいつしかおらん」
「自分がもし負けるとしたらさんまとオール巨人だけ」
と当時を振り返っている。
芸人だけを集めて台本なしで番組を作った場合、
MCとして主導権を握れるのはさんまと紳助であると言われている。
上岡龍太郎は「素人相手にしゃべったらさんま、
芸能人相手なら紳助」と評している。


