マイク・タイソン 
アメリカ合衆国ニューヨーク州出身。43歳
アメリカ合衆国ニューヨーク州出身。43歳
幼少の頃はその内向的な性格や、
大きな近眼鏡を着用していた事が近所の不良少年達に嘲笑され、
虐めの対象となる。
だが、大事にしていたペットの鳩を、
年上の不良グループの少年たちに虐殺され、
我を忘れてその不良達を殴り倒した事から自身の強さに気付き、
徐々に荒んだ生活へ進む。
9歳から12歳の間に51回も逮捕され、
ついにニューヨーク州でも最悪の少年が収容されるトライオン少年院に収監。
そこでボクシングと出会う。
その後、その才能が名トレーナー、
カス・ダマトの目に留まり少年院から救い出され、
ボクシングの英才教育を受ける事になる。
まずはアマチュアボクシングでキャリアをスタートし、
13歳の時に初試合を行った。
そして 数年間キャリアを積んでいきその間に
ジュニア・オリンピックのタイトル等を獲得。
その後ロサンゼルスオリンピックへの参加を狙うが、
オリンピック出場を確実視されながらも、
国内予選の最終選考会の決勝戦でダウンを奪いながらも
判定負けを喫し、オリンピックへの参加は叶わなかった。
1985年3月6日に18歳でプロデビューし、
ヘクター・メルセデスに1RTKO勝ちで初戦を白星で飾る。
この年、11連勝を飾った直後トレーナーのカス・ダマトが死去。
その後、通算28連勝し1986年11月22日、
29戦目にしてトレバー・バービックに2RTKO勝利し、
WBC世界ヘビー級王座を獲得。
史上最年少(20歳5ヶ月)で世界王者となる。
1987年3月7日にはジェームス・スミスに判定勝ちし、
WBA世界ヘビー級タイトルを獲得。
さらに同年8月、トニー・タッカーに判定勝ちして
IBF世界ヘビー級タイトルを獲得して3団体統一に成功。
通算9度の防衛に成功することになるが、
1988年に行われたマイケル・スピンクス戦後、
カス・ダマトがその生前、
絶対に組んではいけないと言っていた
ドン・キングにプロモートを受けるようになってからは精彩を欠くようになる。
一般的にこの1988年までがタイソンの絶頂期と言われている。
6年の懲役刑を言い渡されたが3年間服役後の1995年に仮釈放され、
翌年の1996年3月16日、フランク・ブルーノを3RKOで破り、
WBC世界ヘビー級タイトルを再度獲得し世界王者へと復権する。
2005年6月12日、前回の試合で傷めた膝を手術し復帰。
無名のケビン・マクブライドを相手に戦うも、
年齢から来る体力の衰え、
そして膝の怪我の影響からか動きに精彩を欠き、
6ラウンド終了後棄権しTKO負け。
試合後のリング上でのインタビューで
「もうこれ以上、ボクシングを侮辱したくない」 と、引退を示唆した。
正式な引退発表しなかったが、結局はこれが最後の試合となり、
1985年のプロデビューから2005年まで丸20年の
プロキャリアに終止符を打った。
タイソンのネームバリューは格闘技団体にとっては最高のターゲットである。
アントニオ猪木が最初に、
後にK-1、現在ではPRIDEが頻繁にタイソン招聘をぶち上げている。
現在ではさすがに旬を過ぎた感を否めないが、
当時は、全盛期でないにしろ、
タイソンをリングに上げるということは途方も無い夢であり、
実現すればそのインパクトは計り知れないものであったと考えられる。
2006年12月29日、再びコカイン使用所持の疑いで逮捕された。
これでタイソンを招聘する格闘技団体はなくなった。


